また夏休みに鬼虫(クワガタ)をたくさん獲り東武デパートの屋上のペトショップに売りに行って稼いだお金で自販機で「スノッブ」というエロ本を購入し廃校になった平石南小跡地で読み興奮した。中学では毎月別マを読み続けつつも、たまに平凡と明星で岡田ユキ子をながめたりして興奮してた。高校生になっても別マはやめられず完読。このころ紡木たくがデビューした。中~高といろいろ忙しかったのか、本も雑誌もあまり読まなかったような気がするけど、「ホリデーオート」の族特集とか「月刊オートバイ」は読んでたな。「モトチャンプ」の個人売買欄でSR400を東京まで高校サボって買いに行き、帰り道で事故った。専門学校にいって1人暮らしが始まるといよいよ「エロトピア」を購読開始しつつ少女マンガで慣れてしまった美少女、美少年の感覚に男性誌の絵は雑でなかなかなじめなかった。18~20までの2年間は一応整備士になるつもりだったので「月刊自動車工学」を定期購読申込み24冊そろったがほとんど読まなかったと思う。(あんまりおもしろくなかったのかな?でも卒論に4AGのレポートでちょっとだけ役にたった。)ちなみにこの2年間「日刊自動車新聞」も取っていた。今思えばずいぶんやる気のある専門学校生だけどまあ、あんまりちゃんと読んではいなかったな。この辺からカー雑誌を買出し「Car&Driver」とか「ノスタルジックヒーロー」をみてた。社会人になり釣りを思い出したように始まったので「アングリング」をよく読んだ。その流れで「月刊OUT DOOR」にいって「4×4マガジン」に行き着きハイラックスサーフを購入しようとしたところでヨタハチを買ってしまい、「エンスー」に戻る。20才を過ぎてやっと「別マ」離れが出来て「ジャンプ」の世界へ。「サンデー」であだち充だけ立ち読みして「少年マガジン」に方針転換。ハートカクテルに引き寄せられて「モーニング」も仲間にいれた。この頃「エロトピア」が「ピザッツ」に変わりエロがカジュアル路線になった。バブル絶頂で東京のおいしいラーメンとか探すのになぜか「週間ポスト」をよんだら椎名誠がなにか連載しててエジプト旅行いくのに何か本を探してたので椎名誠の「哀愁の街に霧が降るのだ」の上下巻をエーゲ海クルーズしながら読んで「本の雑誌」社の礎を築いた沢野、目黒、木村を知ることとなる・・・・・って「本の雑誌」に行き着くまで長すぎるってんだよ。