中華丼物語

高校2年の頃、関東英油というシェルのガソリンスタンドでバイトをしてた。

そこの社長におごってもらった昼飯が生まれて初めての中華丼で、

不思議な食べ物だなぁと思いながら食べた。

食べたお店は現在「ステーキ杣」の石井店があるところ。

中華屋と蕎麦屋とあといっこが思い出せないけど、

ガソリンスタンンドの隣で3軒のお店が入っていた。(その後、乾杯の館になる。)

18歳からは中野の自動車整備専門学校に通うのに2年間、東中野に住んだ。

東中野駅の日本閣側の出口の目の前が中華系定食屋で(名前は思い出せない)

バイトが休みの日はそこで焼肉定食と中華丼を交互に食べた。

20歳で就職して真岡営業所に勤務。この1年間は中華丼を食べていない。

その後21歳で不動前営業所に転勤。

23歳で整備士から営業マンに転課するまでの2年間も中華丼なし。

のちにこれを空白の3年間と・・・だれも言わねーよ(^_-)-☆

23歳で営業担当地区が一の沢、鶴田、駒生でお得意さんの調子伺いと

飛び込み営業を普通にやってる時代で、なんも知らずに船田譲邸に飛び込み

やけに丁寧に応対してくれる家だなぁと思って後で聴いたら地元の名士の家だった。

そのころは駒生の栃木ナショナル通信特機の近くの大谷街道沿いの中華食堂(ここも名前思い出せない(^-^;))で毎週中華丼を食べた。ここのは特においしかったなぁ。

同時期、営業の先輩(大野係長)がうまい中華丼があるぞ!って連れてってくれたのが、

なんと地元石井町の「北海飯店」だった。これはうれしかったなぁ。

もともと「北海飯店」には行ってたけど、北海ラーメンばかりで中華丼には気づいてなかったので

その後は北海ラーメンと中華丼を交互に食べるようになる。

(正確には北海飯店のメニュー名は中華飯(チュウカハン))

大谷街道の中華食堂はしばらくして閉店しちゃって残念だった。

噂では忙しすぎて参っちゃったらしい。ほんとかなぁ。どっかでやってるなら食べにいきたいなぁ。

26歳で駅東営業所に転勤。担当地区に北海飯店があるので毎週ここでも中華丼。

うまかったなぁ。

たまに自分でも作るけどさ、美味しく出来ないんだよ。

意外とシンプルな料理なのでプロの味と差が出るんだなぁ。

29歳で独立開業。

さらに北海飯店が近くなり、紹介してもらった税理士を連れてったのも北海飯店だった。

親父さんが梯子から落っこちて亡くなったのは本当に残念だった。

それからは中華丼が減って、あっちこっちの麻婆豆腐を食べるようになる。

でも陽南のほうから中華食堂「王ちゃん」が下栗に越してきて、

後輩の竹沢の女房がバイトに行ったりしたので「王ちゃん」の中華丼を食べるようになった。

混んでるけどねー(^_-)-☆

中華丼。うまいよねえ(●^o^●)

グリーン。

今の時期の大麦はミドリミドリして綺麗だなぁ。

もうすぐ黄金色になる。

可憐(かれん)な草花。

新緑の候って感じだなぁ。

FJ !

このFJクルーザー、やっぱりかっこかわいい\(^o^)/

修理完了したぜー。